東京浜町ライオンズクラブ Hamacho-lions
330-A地区 第3リジョン 第1ゾーン 認証NO.024561
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ライオンズクラブ国際協会
国際会長テーサップ・リー

サイン

(写真)ライオンズクラブ国際協会国際会長 テーサップ・リー

拝啓
 この度、貴クラブが結成40周年をお迎えになりましたこと、心からお祝い申し上げます。
 周年記念は、クラブの過去を顧みると共に、将来に目を向ける適切な機会であります。結成以来、貴クラブの会員の皆さんがカを合わせて奉仕に尽くして下さっているお陰で、地元地域杜会そして世界中の恵まれない人々の暮らしが向上しております。貴クラブが献身的に質の高い奉仕を提供して下さっている故に、協会には今日の名声があるのであり、86年もの間協会は奉仕組織のリーダーとして活躍し続けることができたのです。
 東京浜町ライオンズの業績を祝うに際し、今後も各種の奉仕事業の改善と拡張に努力していかれますことを期待しております。伝統を重んじ、しかもこの一年がより良き明日への扉を開く改革の年となるよう、共に全力を投じてまいりましょう。引続き会員増加及び維持を奨励し、指導技能育成に力を入れて下さい。こうした段階を経てこそ、奉仕というライオンズの伝統を続けていく心構えのある質の良いクラブ会員を確保していかれるのです。
 重ねて、貴クラブの40周年記念のお祝いを申し上げます。

敬具
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ライオンズクラブ国際協会
300-A地区ガバナー
中島 洋吉

(写真)ライオンズクラブ国際協会300-A地区ガバナー中島 洋吉

 東京浜町ライオンズクラプが、チャーターナイト40周年を迎えられたことを、330-A地区を代表して心からお慶びとお祝いを申し上げます。
 貴クラブは1963年7月に東京掘留ライオンズクラプをスポンサーとして結成され、翌年3月チャーターされ誕生いたしました。爾来地元地城の多数の方々の希望と期待に応え、確実な発展を遂げ、輝かしい成果を挙げて参られました。貴クラプは、特に、継続的な献血活動等色々の奉仕活動に大いに貢献されております。そして、今回の40周午の記念事業として地元の人達に親しまれている浜町公園に「しだれ桜」を植林すると聞いております。これらの活動は、貴クラブがメンバー相互の和を尊重しながら常に時代に即応したアクティビティに精進されて来ましたことを証するものと確信致しております。貴クラプは、この40年間に、束京柳橋ライオンズクラプをエクステンションする等、300-A地区のライオンズクラブの発展に多大の貢献をなしてきております。
 貴クラブが40周年を契機に、創立以来の輝かしい実績を基に、更に我々ライオンズクラプのモットーはWe Serveであり、「奉仕こそ我々の生命であり、使命である」ことを原点として、メンバー間の友情を更に深め、杜会奉仕に精進され、益々の発展と会員各位のご健勝を祈念申し上げ、ご祝辞と致します。

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東京浜町ライオンズクラブ
2003年7月‐2004年6月度
会長 L宮崎 俊一

(写真)ライオンズクラブ国際協会300-A地区ガバナー中島 洋吉

 ここに、輝かしい40年の歴史を迎えることができました。
 東京浜町ライオンズクラブの足跡を心から感謝申し上げ、立派なライオンズクラブとして育成され、維持してこられた浜町ライオンズクラブの皆々様のご努力に敬意を表す次第でございます。
 世の中の激しい移り変わりに従いまして、いずれの杜会におきましても大きな変革を余儀なくされております。国におきましては行政改革いわゆる『行革』であり、経済産業杜会にあっては構造改革という再編成であります。現在の状況は、過去に経験した歴史の大事件にも劣らぬ、大変な難行苦行の過程であると思います。むろんご多聞に漏れず日本のライオンズクラブも厳しい局面に立たされている訳であります。しかし、我々の先輩が力を合わせてこれらの苦難を跳ね除け突破してきたように、クラブメンバー全員が手を取り合ってこの危機を乗り越える以外に道は無いものと確信しております。
 終りに、この記念行事に携わった高岡40周年記念実行委員長および各担当の委員の皆様に謝意を表し、東京浜町ライオンズクラブの今後の発展とメンバー各位のご健勝を祈念し、お祝いのご挨拶といたします。

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東京浜町ライオンズクラブ
チャーターナイト40周年記念
実行委員長 L高岡 陞

(写真)東京浜町ライオンズクラブチャーターナイト40周年記念 実行委員長 L高岡 陞

 東京浜町ライオンズクラブが、アメリカシカゴ本部より認証状を頂いて40周年を経過いたしました。大きな節の年には毎回周年行事が盛大に行われるのを恒例として居りますが、今回の節目は失われた10年いや15年を漸く脱皮しようと日本国中が懸命に努力し合っている年に行事が実行されることに成りました。この事は御多分に洩れず我々を取り巻く中央区の環境を見渡しても大変にご苦労されている方々が多数見られます。従いまして行事そのものは賑々しく、しかも経費は最小限度に押え時代に合わせた内容に纏めるべく、委員の方々に知恵を絞っていただきました。時には手作り奉仕により業者への手数料を大幅カット節約し、立派な周年行事を果たすことが出来ましたのも、会員相互の御協力の賜物であると感謝いたして居ります。
 御存知の通り浜町ライオンズクラブからは1964年柳橋クラブおよび1965年川越クラブを子クラブとしてエクステンションをして居ります。この両子クラブからは次々と孫クラブ曾孫クラブが盛大に結成され南埼玉地区へ大きな努力の礎となって居ります。
 とは言うものの日本国不況の長期低迷は会員の減少と言う苦境に直面して居りますのが現実でありますが、この中に有って当クラブは会員34名を数え奉仕と会員相互の親睦をより強力に推進いたして居ります。当クラブの特徴は歴代会長の企業に於ての実績や公職の数々は地域社会に知れ渡って居り、またクラブの活動は華やかさは少なく質実であり、数多くの人材を含めて内容の濃いクラブとして実績を積み上げて来たことで誇り得る成果を持って居ります。これ等の成果の灯火を絶やすことなく浜町ライオンズクラブのさらなる発展を祈念申し上げると共に5年後の周年行事がさらに立派に執り行われます事を心から願うものであります。

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東京浜町ライオンズクラブ
チャーターメンバー
L三田 政吉

 私は、1960年 (昭和40年) に東京問屋連盟会長横田勉氏、日本橋二之部連合会長と同じ日本橋五之部連合会長・宅間幸三郎氏両名の先輩の勧誘斡旋に依り、東京浜町ライオンズクラブの創立に参加入会致しました。
 入会に際し、クラブの誓の式後、会長よりメンバーの守る事で一番重要な事は、メンバーは出来る限り例会に出席する。及び、ライオンズクラブは社会奉仕団体でありますからアクティビティを推進していただきたい。 この二つを実践する様に言われた事を、今まで実践して参りました。
 尚、会長在任中に子クラブ創立誕生に精進することを強く言われました。 私は子クラブ創立に就きまして、役員及びエキステンション委員会に子クラブをどのような地域に創立するかと言う事で悩みましたが、クラブメンバーの中で懇意に致して居ります、横山町・小坂部富義様より御出身の川越市に子クラブを創立する事をご提案頂き、この有難いご提案を原案として調査実行を計画致しました。
 小坂部L.は川越市に於いて信用の厚い名望家であられる為、川越市の各業種のトップの方々と親交があり、創立に際し連日会議を開かれ、又、小坂部L.は、メンバーの市川勝二氏、佐藤彦太郎氏、村山善太郎氏等と度々川越に出向く等、周到な計画を練って実行し、優秀な会員の勧誘に努められました。その結果、人格教養の高いメンバーを多数獲得する事が出来、並々ならぬ御尽力にて子クラブの誕生となりました。
 私は小坂部L.の御尽力を後生忘れぬ事と深く感謝致して居ります。 川越ライオンズクラブは現在メンバー各位の御尽力で御盛会であり、当浜町ライオンズクラブとの交流も変わりなく、今も引き続きご懇意にして頂いております。

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東京浜町ライオンズクラブ
チャーターメンバー
L小坂部 富


 われらの東京浜町ライオンズクラブが、昭和38年7月スポンサー東京掘留ライオンズクラにより都内32番目のクラブとして発足したのは、皆さまよくご存じのことと存じます。
 初代会長横田勉L、初代幹事宅間幸三郎L,初代会計杉田繁Lの各氏は、先年残念ながら鬼籍には入られましたが、今もお元気な三田政吉Lが初代第一副会長を務められ、翌39年3月1日のチャーターナイト は、委員長三田Lのご尽力により、明治座において1300名余のご出席をいただき、盛大に行われました。私もチャーターナイト式典委員長を仰せつかり、皆さまの多大なご協力をいただいて無事お役目を果たすことができましたが、その記念式の一コマ一コマは、40年を過ぎた今も脳裏に鮮やかに残っております。
 会員数も91名になり、地域社会への貢献も含めてクラブ活動も大きな成果をあげて、クラブ結成の本質的な意義をお互いに貴重に感じあったスタートでありました。
 浜町クラブ結成にともない入会させていただき、爾来40年、いま振り返ってみますと何にもましてありがたく思うのは、ご立派な会員の皆さまがたとの出会いです。おひとりおひとりを申しあげると果てしのないことになりますが、なかでも三田Lには、そのお人柄に触れるつけ、実に頭の下がること、学ぶことばかりで、常にご指導をいただいた思いは、終生忘れることができません。 人との出会いというのも限りある範囲のことですが、お忙しい身でありながら、周囲への細やかなお心配りを忘れない三田Lに親しくご交誼いただいたことは、自分の人生の宝だと思っております。
 また、思い出として忘れられないのは、昭和40年からの川越ライオンズクラブのエクステンション当時のことです。川越クラブ結成にあたり、浜町クラブのメンバー各氏にもたびたび来川いただき、数ヶ月に渡って毎夜遅くまで連絡会議を行いました。浜町クラブをはじめ、多くのクラブのご参加を得て、昭和41年4月のチャーターナイトが無事終了した深夜、川越クラブの方々が私の自宅に寄られ、皆涙を流して喜びあった感激は、言葉には言いあらわせない思い出で、いま思いだしても胸が熱くなるほどでございます。
 時の流れとともに、浜町クラブもフレッシュな顔ぶれが加わってゆくことと思いますが、これまで私たちが巡り会った人と人との貴重な触れ合いは、これからもかたちを変えて永遠に続くことでしょう。40周年を迎えるにあたり、当クラブの今後のますますの発展を祈念してやみません。

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平成15年9月10日
実行委員長 L.高岡 陞、
副委員長 L.長野 幸雄にて

 第1回委員会が行われた。その前の準備段階にて「歴史と伝統ある当浜町L.C40周年記念行事」を行う事が決定していた。 さて、どんな方法でやるか?時節柄、当クラブは出来る限りの改革を実施してきている中で今期周年行事を行うに当り、従来の型にはまったことではなく行いたいと考え、メンバーと家族、又物故ライオンの奥様方による落ち着いて賑々しく、しかも経費は最小限度に押え、時代に合わせた心に残る記念行事にした。
 また、アクテビティとして浜町公園に中央区の指導による植樹(紅枝垂桜3本と柳1本 計4本)を行った。
 メンバーにアンケートを行い、ご希望を伺ったところ京都希望が多く、東京の例会場で記念例会を主として京都旅行を従とすることにし、記念誌に代わるわるものとして、第3リジョン第1ゾーンでは初めての浜町ライオンズクラブのホームページを作成する事とした。3本柱である。
 東京例会はL.上野 清治、京都例会はL.横倉 陽七、ホームページはL.三原田 敏氏が担当し各委員会が出来、具体的な検討に入った。 東京例会は3月10日ローヤルパークホテルにおいて、40周年記念特別例会が行われ、出来上がったホームページの説明や30年以上の在籍者に対する記念品の贈呈、及びアクテビティの発表もあり、浅草の「振袖さん」の華やかな踊りなどがあり、和気藹々のうちに行われた。
 5年後、10年後にはさらに立派なクラブに成長する事を誓い合い、紅枝垂桜と柳の成育に期待して完了した。
 京都旅行例会は6月29日。 京都御所、金閣寺を見物し「つるの家」にて京料理を堪能し、芸子、舞妓さんの舞いと語らいを交えて京都の風情を味わった。 翌日保津川下り、天竜寺にて加山 又造の天床の竜を見て元気に例会を完了した。
 45周年、50周年に向けての素晴らしいスタートが切れたと思っている。

L.森田 半兵衛 記
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